最近、たまに見かける赤いタグの十字とハートの「ヘルプマーク」
援助か配慮を必要としているが、外見では分からない人のために東京都が作成
したピクトグラムである。
そのマークを身に着けたことによって、見た目では分からないのに何故、障害を主張するのか?と親戚から叱責をうけたというSNSをみた。
当然、本人はそのマークで恩恵を受けようとしているのではなく、ただ理解を求めようとつけたと推測されるが、それを受け入れるのはハードルが高いのか・・・
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先日、家族が足の手術をした。
退院後、リハビリのための病院通いに電車に乗った時のこと。
優先座席は満席で、もたれ掛かる場所もなく懸命に立っていても、誰一人として席を譲ってくれる人はいなかったらしい。
本人曰く
席に座れなかったことも辛かったが、席を譲る考えなど全く持ち合わせていないスマホに興じている人達の姿を目の当たりにして、健康な時は気が付かなかったこの現状に、ショックをうけたそうである。
もちろん、たまたま優先座席を必要としている人で満席だったのかもしれないし、空いている電車を待って乗ればいいやん!との声もあるだろうが・・・。
結局のところ、目印をつけても、松葉杖を使っていても、周囲の人の理解あってこそということになる。
何か、人として変えてはいけないものが変わって
変わらないといけないものが変えられず、意味不明な事件が多発する昨今。
来月には、ラグビーのワールドカップが始まる。これを皮切りにはじまる国家プロジェクトには大勢の人々が世界中から集まるだろう。
おもてなしの国として、お客様を迎えるのはもちろんのこと、人に優しい国として困っている人がいたら、何の戸惑いもなく手を差し伸べられる、そんな国でありたい。
おもてなしの心はすべての人の中にあるはずなのだから。