晴耕雨読

雨が続きますね。

命を奪われそうな激暑から一転、急激に秋が通り過ぎる準備をしているようで。
曇り空を見ていると、こんな日は気になる本でも読んで静かに家で過ごす・・・もありだなぁと、パソコンをたたきながらある言葉を思い出した。

「晴耕雨読」

意味は読んで字のごとく「晴れた日は田畑を耕し、雨の日は室内で読書をし心穏やかに生活すること」

なんか、悠々自適な感じがして、憧れさえ感じるけれど、そもそも「晴れた日は田畑を耕し、雨の日は屋内で過ごし、暗くなれば眠る」自然のサイクルの中で、人は生きてきたはず。

ただ、悲しいかな「考える」ことのできる人間という生物は、暮らしの質を上げようと、様々な技術を生み出した。

そして

スイッチをおせば電気がつき、蛇口をひねれば水が出る
食べ物は何でもスーパーにいけば売っている
雨の日も晴れの日も時間をみつけてスマホ・・・の現代に至った。

もちろん、素晴らしいことである。
今、何一つ欠けても暮らしが成り立たないことはわかっている。

反面、
人間の利便性を追求した暮らしの影響が歪となってそこかしこで、自然災害という形で影響がでてきているのも、人は受け止めなければならない。

「晴耕雨読」の言葉の意味を

少しでもいいから晴れた日には、外で体を動かし、悪天候の日は屋内で読書でもして体を休め、自然のリズムにあわせて何が起こっても耐えうる力を身につけるための時間を作るって解釈してはどうだろう。

何かが変われば・・・窓の外の雨を見ながらふと思う。

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